2015年7月7日火曜日

サン・ジェルマン・デ・プレの白い貴婦人 ★ コラ・ヴォケール: CORA VAUCAIRE / La Complainte de la Butte (モンマルトルの丘) と 映画 『フレンチ・カンカン』 監督:ジャン・ルノワール (1954年)

 “サン・ジェルマン・デ・プレの白い貴婦人”との呼称を持つ高貴なるコラ・ヴォケール。代表曲の中でもコラ・ヴォケールの名唱で有名なシャンソンの名曲中の名曲のひとつである「モンマルトルの丘」を。コラ・ヴォケールの名前は母の持っていたシャンソンのオムニバス・アルバムで知りました。でも心を鷲掴みされたのは80年代に入ってから聴いたライヴ・アルバムでした。プロデュースはジャック・カネッティによるもので、一曲目の「プレヴェールの歌」(或いは「枯葉によせて」)で一気に心を鷲摑みにされたものでした。曲が始まる前から会場の雰囲気が伝わるかのような、ライヴ・アルバムでこれ程感動した作品は初めてでした。


 この「モンマルトルの丘」はジャン・ルノワール監督が、アメリカでの活動からフランスに10数年ぶりに帰国後の1954年のフレンチ・ミュージカルの名作です。日本での公開は1955年だそうです。この時代の総天然色と呼ばれたテクニカラーの色鮮やかな作品群が好きです。70年代のヨーロピアン・デカダン映画を好んで鑑賞していたもので、異なる魅力の映像美をずっと後追いで体験しました。ミュージカル映画はアメリア映画に多数名画がありますが、フランスには『フレンチ・カンカン』があるのです。それもお家芸とも云える世界です。このカンカンという踊りはドイツ発生だそうですが。


 大好きなジャン・ギャバンが興行師役で、若い踊り子の娘役はフランソワーズ・アルヌール。右の眉の上がり具合が印象的なマリア・フェリックス、その他、アンナ・アメンドラ、ミシェル・ピコリ、ジャンニ・ニスポジト、ジャン=ロジェ・コシモン、フィリップ・クレー、エディット・ピアフ、パタシュウ、アンドレ・クラヴォ、ジャン・レーモン、そして、声の出演(吹き替え)でコラ・ヴォケールと、まあ!豪華過ぎる配役です。シャンソン歌手の方も多く出演されているのも嬉しいです。「ムーラン・ルージュ」や「フレンチ・カンカン」という19世紀末のパリで生まれ形成されている過程を軸に、男女の恋物語を悲喜交々と、ジャン・ルノワールらしいユーモアと哀愁を込めた展開は、華麗でコミカルでもあるのですが、観終えたあとはほろりと、じわじわと涙が溢れてくるのでした。また観たいと思います。その涙を誘う要因のひとつにコラ・ヴォケールの声と、ジャン・ルノワール自らが作詞を手がけた名曲「モンマルトルの丘」の恋模様と重なり合うからでしょうか。



2015年6月17日水曜日

ボウイの不遇なモッズ時代のお蔵入り曲 ★ DAVID BOWIE / Even A Fool Learns To Love ★ 創唱はクロード・フランソワ:CLAUDE FRANCOIS / Comme D'habitude (1967年)

 今日はボウイの不遇なモッズ時代にお蔵入りとなった曲のこと。あの名曲スタンダード「マイ・ウェイ(MY WAY)」はポール・アンカがフランク・シナトラの為に英詞を付け大ヒットとなりました(1968年録音)。けれど、創唱はクロード・フランソワで、作詞はジル・チボー&クロード・フランソワ、作曲はジャック・ルヴォーによる1967年の曲。時のいたずらが運命を左右することはしばしば起こる。かのデヴィッド・ボウイがファースト・アルバムをリリースした同年1967年のこと。カリスマ・ボウイながらこのアルバムはまったく売れませんでした。デッカ~デラム時代のボウイはモッズ少年の頃。自身の活動の傍ら他のミュージシャンに曲を書いたり詞を提供したりもしていました。それにしてもモッズ時代のボウイ、美少年過ぎて目が合うのでドキドキします。


 どういう経緯かは分らないけれど、このクロード・フランソワの「いつものように(Comme D'habitude)」の英訳を受け「Even A Fool Learns To Love」として完成させたのだけれど、ボツとなる。未来への悠々と朗々たるポール・アンカの歌詞に比べ、なんとも線の細いボウイのお姿が垣間見られるようです。創唱者であるクロード・フランソワの方もポール・アンカの詞の世界とはまるで対称的な感じ。冷静に聴けばポピュラーソングとしては、やはりポール・アンカ&フランク・シナトラの方が売れるのは当然なのだと思えます。


 ボウイより8歳程年上のクロード・フランソワ(愛称はクロクロ)は、60年代初頭から英米曲をフランス語で多く歌っていました。その頃にご結婚されており、奥様がイギリス人だったことも関係しているかもしれません。クロード・フランソワは惜しくも浴槽で電球による感電(事故)で39歳の若さで死去されました。それでも、フランスでは今もなお人気を誇っているという伝説のお方。他にもメロウな曲に好きな曲が色々あります。

 また、お蔵入りしてしまう時期もあったボウイのデモ・テイクのようなものもYoutubeにありました。何故か、途中からリチャード・クレイダーマンによるピアノ曲となります。惜しくもボツにされてしまったボウイは「火星の生活(Life On Mars?)」で再びこの「いつものように(Comme D'habitude)」を想わせる曲を世に出すことに。古くからのボウイ・ファンの皆様の中では有名なお話のようです。また、当時のボウイはフランク・シナトラに影響を受けていたようで、後にフランク・シナトラの半生を描いた映画企画もあり、シナトラ役はボウイで、というニュースもありました。しかし、ボウイもまだお若く晩年のシナトラを演じるのは無理ではないか、などとの理由で却下されたとか、他にも噂がありましたが真相は定かではありません。


 

2015年6月16日火曜日

今日のフレンチポップス ★ レ・ネグレス・ヴェルト:LES NEGRESSES VERTES / Zobi La Mouche (1988年)

 今日は今年に入り2つ目の記事に予定していたレ・ネグレス・ヴェルトで、1988年の1stアルバム『MLAH』からシングルカットもされた曲「Zobi La Mouche」を。いつも想うこと。“フレンチってお洒落な音楽だけではないよ。”って。ロックもパンクもあるし、シャンソン・リテレールと呼ばれる文学的シャンソンまでとても多様。それらを総じて愛好しています。


 80年代の終わりにとんでもなくカッコいいバンドに出会えた、と今もあの歓喜が蘇ります。レ・ネグレス・ヴェルト!7人から10人以上の大所帯バンドで、皆、生粋のパリジャンではなく混血なのでした。これもまたフランス音楽の魅力ですが、80年代の終わりに登場して来たレ・ネグレス・ヴェルトやマノ・ネグラは画期的でした。ヴォーカルのエルノの吐き出す歌声はジョー・ストラマーを彷彿させ響きました。ザ・クラッシュは初めて買ったパンクロック・アルバム(後追いですが『白い暴動』をジャケ買い)だったので、エルノのヴォーカルがジョー・ストラマーを想起させるということは私にとって大きな意味があったのだと思います。

 レ・ネグレス・ヴェルトの音楽はロックではあるけれど、パンク、スカ、ライ、ポルカ、ジプシー音楽、ケイジャン、アイリッシュなどが入り混じった混血音楽。けれど、フランスが長年培ってきた古き良き音楽をも忘れてはいない。逆に彼等なりのかたちで蘇生しているとさえ思える美しい楽曲もあります。しかし、持ち味というか強烈な個性はやはり歌詞。猥雑な歌詞たるや!フランスの抱える社会的問題もそれらの歌詞の断片から伝わります。パリ郊外の低所得層の出身者たち、それも所謂移民の血を引く若者たちによるストリート・ミュージックから。面白く生き生きとしたスピリットに溢れていてグングン響いてくるのです。猥雑さの中に魂がある。おフランスの良さも好きなのですが、こうしたフレンチポップスをも愛してやみません。


 しかし、惜しくもそのお気に入りのヴォーカリストであったエルノは2ndアルバムの後はもう居ない。1993年にオーヴァードーズで他界されてしまいました。30歳を待たずに。でも、現在もバンドは続いています。フロントマンが居なくなった時の残されたメンバーの戸惑いはどんなだろう...とも想います。そして、私はその後もレ・ネグレス・ヴェルトの作品を聴いている。でも、どうしてもエルノのヴォーカルが好きで初期の二枚の作品を聴く回数の方が多いです。きっと、世界中に同じようなお気持ちのファンが多く居られることでしょう!


2015年6月15日月曜日

孤高のブルネットの麗人 ★ バルバラ:BARBARA / Nantes (1964年)

★バルバラの絶頂期の世界にたった一つの陶器のような「声」は唯一無二!
シャンソンにも様々。バルバラのお声の肌理と室内楽のような美しい楽曲たち。
これはバルバラだけの世界。珠玉の作品群はいまなお私の心を震わす。



「私の好きなうた」 バルバラ(BARBARA)/ナントに雨が降る(NANTES) 
バルバラ!孤高な気高き旋律。優雅な気品と激情を合わせ持つ神秘な声。初めて、この声に出会った作品にこの曲が入っていました。そして、歌詞の内容を後に知りいっそう好きになった曲です。今まで母から聞かされていたシャンソンというイメージとは赴きの違う、美しいピアノの調べとバルバラの吐息と声に圧倒されたものです。間違いなくこの曲は、シャンソンの名曲の一つとして永遠に語り継がれて行くものでしょう。ユダヤ人であるバルバラの歌手デビューは平坦な道のりではありませんでした。この曲を発表した時、既に30代半ば。60年代のバルバラの声はあまりにも繊細で艶があり、このような悲しくも美しい曲がよく似合います。この室内楽とでも言えそうな、バルバラならではのシャンソン世界を見事に表現していると思います。この曲と出会って10年余り経ち私の父も亡くなりました。今でもこの曲を聴くと悲しくなるのですが同時に私の心を落着かせてもくれます。このピアノとバルバラの声の震えだけで充分な比類なき名曲!私にとっての生涯大切な一曲だと思います。

 上記の拙文は2000年初め頃に「私の好きなうた」として、バルバラの『ナントに雨が降る(NANTES)』について書いたものです。80年代育ちのバブル時代の日本でお気楽に生きて来た私が、バルバラのような激動の時代や体験を経て、まるで「生きるために歌い続けた」ようなお方の心の葛藤など到底分る筈は無い。早い別れだとしても両親の愛をいっぱいに受けて育った私には。けれど、もうこの世に居られないバルバラの残された音楽、お声を聴き続けています。「バルバラが聴きたい」と、呼ばれるかの如く、時折、ひっそりと聴き返し続けています。殊にバルバラを聴く折はターンテーブルにレコード盤で聴くことが多いです。


 聴く時々の心境によって多少は異なるけれど、初めて聴いたあの瞬間は色褪せることはない。読書に「熟読」と「濫読」という形容があるように、音楽を聴く、音楽に向かうことはただ「音を楽しむ」だけに留まりはしない。たかが音楽、されど音楽なり。向き合うことで見えないものが見えることもある。衝撃的な出会いに心苦しくなることだって。バルバラの正しく珠玉の楽曲たちの中には「死」がいつも隣り合わせに居る。ペシミズムを否定的に私は想わない。そんなことをバルバラが教えてくださったようにも想います。辛い現実を生きてゆく為のペシミズム。『孤独のスケッチ(LE MAL DE VIVRE)』というタイトルなど正しくその表れだと。バルバラの歌手としてのデビューは決して早くは無い。既に人生の苛酷さ、世界の狂気を体験されていた。なので、自作曲を歌い始めてから最期までご自身の曲たちは私たちに向けての曲でもあり、バルバラご自身のためのシャンソンであり続けたのだとも想うのです。オリジナル・アルバムは全部聴いているけれど、まだまだ聴き続けないと納得がいかない。アルバムを一通り聴いただけで聴いた気にはなれない。とても大好きなアーティストは皆そのように想います。これも愛しきものたちと生きるための修行なのかもしれません。

 ご自身の曲を歌われる以前はジョルジュ・ブラッサンスやジャック・ブレルの曲を歌われていた。私が生まれる以前の作品。その頃からバルバラは「黒」のイメージ。そして真っ赤な薔薇のお花も。そして、「孤高の麗人」であるので誰とも比べることなど出来ない存在として、また決して太ることもなかった。世界にたった一つの至宝のようなあのお声。次第に高音が出なくなってゆく時期のアルバムだって大好き!バルバラはただお上品なシャンソン歌手ではない。その潰れてゆくお声でロックへと向かう。私があるアーティストの生涯の作品を通じて「ロックもシャンソンも好き」で居られるお方はそんなに多くは存在しない。70年代のフランソワ・ヴェルテメールとの作品を知った時、プログレという流れでヴェルテメールのアルバムを聴いていたので、バルバラのアルバムでその名を見つけた時はとても嬉しかったです。その頃は、バルバラの歌に情念のようなものが色濃く刻まれてゆく頃でしょうか。

 「天は二物を与えた麗人」のお一人であるバルバラ。けれど、これ程までにその二物以上の壮絶な哀しみをも背負っておられた麗人を私は知らない。いつも想うまま独り言のように書いている。後から読むといつも訂正したくもなるけれどこれが今の私の心。私如きが語るなかれ、と畏れ多い存在のバルバラなのですが、私の棺には必ずバルバラのレコード・ジャケットを添えて欲しいと想っています。まだまだ生きるけれど☆

2015年6月14日日曜日

悦ばしき再会に感激!17年前に取材を受けた折の映像です ★ 【FRENCH】 TOP5 by VELVET MOON

 久しぶりの更新となります。更新しようと思っていた折に、あのパリでのシャルリー・エブド襲撃事件が起こりました。その衝撃と各報道から複雑な個人的想いがありました。そんな中、日本人の報道関係者の方々も巻き込まれ、首相の中東訪問なども重なり、とても気の重い日々でした。綺麗事では済まされない、世界の宗教紛争、人種問題が根深いものであるということを憂慮せざるを得ない現実。そんな憂鬱な日々ではありますが、「われ、歌うゆえに、われあり」と若き日のアルディが語ったように、「われ、愛すゆえに、われあり」と、私の選んだ道を、愛しき音楽たちと共に歩んでゆくのだと幾度目かの再確認のようなものを得るに至った次第です。

 心豊かに自由な表現と実験精神を胸に、愛しきものたちと伴に人生謳歌!がモットーです。いつも応援してくださる皆様や新しく出会える方々とのご縁に感謝しながら。ずっとこんな調子で生きているのですが、昨日嬉しいお便りが届きました。今から17年前に当店を取材してくださった番組担当のお方から。久しぶりの再会のきっかけは、私もライター参加させて頂きました『フレンチ・ポップ』本を書店で手にされたのだそうです。不思議な目に見えないものに美しい光を感じます。そして、当時の映像をアップロードしてくだったのでした。ありがとうございます!

 テーマは「カフェに似合うフレンチ・ポップス」のようなものだったと思います。テレビの収録とのことでとっても緊張していたものです。懐かしい映像を拝見しながら、あのアメ村の店舗を想い出すのでした。多くの方々との出会いがあの小さな空間であり、そして今も近くから遠くから応援くださる方々...嬉しさと勇気を頂けます。まだまだ青二才ですが、これからも精進いたします!皆様、今後とも、どうぞよろしくお願いいたします☆



【FRENCH】 TOP5 by VELVET MOON

1位 Serge Gainsbourg / Couleur Cafe
2位 Pierre Barouh / Ca Va, Ca Vien
3位 Boris Vian / Cinematographe
4位 Francoise Hardy / Meme Sous La Pluie
5位 Enzo Enzo / Chanson Confidentielle


私も当然ながら今より17歳も若いのですが、性格も好きな音楽も変わっておりません。この頃の髪の色は濃い目のブラウンで、今の方がより大人気ないかもしれません。幼い頃から「何人なん?」と云われたり、髪が赤いことはコンプレックスでしたが、いつしかそのコンプレックスともすっかり仲良く生きています♪

2015年1月13日火曜日

『フレンチ・ポップ』 ディスク・コレクション ☆ 2015年1月下旬発売のお知らせです♪

 発売を楽しみにしている、『フレンチ・ポップ 』(ディスク・コレクション)単行本がようやく今月末に発売されることになりました。年末から延びていたのですが、表紙もamazonさんに掲載されましたので、こちらでもお知らせさせて頂きたいと思います。当店でも只今ご予約受付中(現在は販売中!)でございます。



単行本
~ ディスク・コレクション ~
『フレンチ・ポップ』
監修:佐藤篁之

A5判/192頁/本体価格2,200円+税
12月下旬発売予定が1月下旬発売になりました。
出版社:シンコーミュージック

60年代以来、我が国でも熱狂的なファンを育ててきたフレンチ・ポップ。その勃興期から、70年代~2000年代以降までを幅広く見渡した本格的なディスク・ガイドがいよいよ登場!! 

時代を作ったトップ・スター達を筆頭に、ロリータ・ポップ、フォーク、ディスコ、テクノ・ポップなど、多岐にわたるスタイルを網羅。また、「リテレール(詩的)」「レアリスト(現実派)」「サンティマン(感傷派)」「ファンテジスト(夢想的)」「アーティスティック(感覚的)」「アヴァンセ(新規・革新)」といった傾向別の項目を設け、各人の魅力をわかりやすく掘り下げていきます。

掲載アーティストの一部:シルヴィ・バルタン/フランソワーズ・アルディ/フランス・ギャル/ミッシェル・ポルナレフ/セルジュ・ゲンスブール/ジェーン・バーキン/ジョニー・アリディ/クロード・フランソワ/ジャック・デュトロン/ルノー/ピエール・バルー/レ・リタ・ミツコ/ブリジット・フォンテーヌ 他 
(引用:ブックデータより)

★全ページ・カラーで合計500枚のアルバムが掲載されています。
まだ完成したものを拝見していないのですが、
ライターの先輩方が選ばれた作品や紹介文もとっても楽しみです。

若輩者の私CHOUCHOUも1/4程担当させて頂きました。
好きで聴き続けて来て良かったとご縁に感謝しております。
この喜ばしき機会に恵まれ、多くの発見がありました。
日々、学びを痛感しながら、好きな世界をこれからも私なりに追求してゆきたいと思います。

各ジャンルやテーマでのディスク・ガイド本が幾種類もあり、ファンの方々は「あれ?~が入っていないね」とか「~があって~がないのはおかしい」...etc.という感想を抱かれる方も多いものですが、私はというと、監修された方の思いやセンスを愉しみたいと接しています。

何よりも、不遇な状況の今、愛しきフレンチポップス本が発売されることが嬉しいです!

2015年1月4日日曜日

今日のフレンチポップス ★ ブリジット・フォンテーヌ と アレスキー・ベルカセム:BRIGITTE FONTAINE et ARESKI BELKACEM / Le Bonheur (1975年)

新年あけましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。



 今年最初の投稿は先述の「しあわせ」繋がりで想起しました、ブリジット・フォンテーヌとアレスキー・ベルカセム(Brigitte Fontaine et Areski Belkacem)の1975年の名曲「幸福 Le Bonheur」になりました。不思議な内容の曲が多いフォンテーヌとアレスキーですが、この曲もまた摩訶不思議な寓話を語るように歌う絶妙なユニゾン。このアルバムが発売された折は、『ラジオのように』のヒットの潮流は静まり返り、フォンテーヌとアレスキーの存在はメディアから無視されていた頃。けれど、二人の情操としてのラディカリズムは動から静へと転じているようでもあります。

 スタジオライヴでしょうか。1977年の貴重な動画をyoutubeから共有させて頂きます。フォンテーヌとアレスキーの紡ぎ出す独特のハーモニーは、やはり私には優しく響き大好きです。時折反射して光る、フォンテーヌのお顔の3つのつけぼくろや衣裳も素敵です。ジャン=ルイ・トランティニヤンの姿も☆